初めてづくしで、おろおろしましたが、
今は実家に帰って来てます。骨として。
あんまり突然だったので、
まだ実感がわかないんですよね。
死亡確認の時は、ドラマみたいでした。
救急センターの治療室に横になってる父も
寝てるみたいで、
ただ声をかけても起きることはないんですよね。
横にいる母みたいに、自分も大泣きできれば
よかったんですが、どこか冷静になんなきゃ
という自分がいて、今これを書いている今でも
まだ大泣きできていません。
葬儀も家族だけで行いました。
葬儀前にも多くの方に来て頂いたり、
葬儀も父らしく明るい感じで迎えられました。
葬儀場から火葬場へ向かう際も
昔からお世話になっている方や近所の方が
集まって頂いたりと、遺影を持ちながらも
父のことを誇らしく思いました。
ああだこうだ言う日記にも父のことを幾つか
書いていたので、最後にリンクをはって
見送りたいと思います。
不思議と3つとも大阪に住んでいた時に書いた
日記でした。
離れて暮らすと書きやすかったんでしょうね。
「両親のおみやげ」2010年4月1日
http://aada.seesaa.net/article/145357427.html
「沖縄の血、相模の魂。」2010年8月21日
http://aada.seesaa.net/article/160079138.html
「なつあと〜父への思い〜」2010年8月22日
http://aada.seesaa.net/article/160180804.html
【関連する記事】
初めてお会いしたのはもう15年前になります。
ozy-さん宅の玄関先で
お母様と一緒に出てこられて…
一瞬お見掛けしただけでしたが、
「仲の良いご夫婦」
そう思いました。
ozy-お父様、
その節はお世話になりました。
ゆっくりと休んでください。
ご冥福をお祈りいたします。
けこさんが遊びに来てくれた時は
「嫁が来た」
とozy-家が わいたものでした。
あの夫婦、仲良かったですよね。
葬儀は家族と親戚で行ったのですが、
沖縄な父らしく 陽気な感じで
父を囲んで記念写真を撮ったり、
花がお棺いっぱいになったところで、
ユリの花で髪飾りをあしらったりして、
おかげさまでワイワイしながら
過ごすことができましたよ。
ありがとうね。