2005年06月15日

さくら世代 〜1977年に生まれて

先日(6/10)『さくら』を読み終わった直後に日記を書きましたが、
このページに載っけたのは、ほんの一部でした。
カットした部分は「1977年生まれトーク」がほとんどで、
あまりに止めどなく出てきたため、「もういいよ」と
カットしました。今日はその辺を載せてみようと思います。
題して
「爆笑問題のススメ」西加奈子祝ゲスト出演記念スペシャル
#日本テレビ:6/17(金)26:08〜26:38



なんでくやしいかって。西加奈子
同い歳だよ。同学年。しかも生まれが一ヶ月違いだよ。
完敗だよ。すがすがしい程に、もう。
#『さくら』著者: 西 加奈子さん(1977年5月生まれ)ozy-は4月生まれ.



僕らはやまだかつてない世代だ('04.3.23)
ちょうど「オレたちひょうきん族」と「スマップ」に挟まれて、
あまり記憶に残っていない世代かもしれない。
山田邦子・大江千里・永井真理子・KAN・大事MANブラザーズバンド。
正直、僕らも思い出すとちょっと甘酸っぱいが、
忘れられない大切な時間だ。

携帯電話があたりまえになった今と、携帯電話が無かった時代の
両方を経験した最後の世代かもしれない。
小学校の時はみんなで外で遊んだし、遊び疲れたら友達の家に
集まってファミコンで遊んだ。
「友達の家に集まって」がポイントだ。
ファミコンの基本は二人プレイだった。
ワンコン・ツーコン。
「バンゲリングベイ」で、ツーコンマイクに「ワー」とさけんだ。
ファミコンとジャンプはワンセットだった。
ファミコンをやってる組とジャンプを読んでる組を
かわりばんこに楽しんだ。
外でサッカーをやるにしても、
「ドライブシュート!」とか「タイガーショット」とか、
「カミソリパスや」とかさけびながら走り回った。
#タイガーショットをやる前はもちろん両腕まくりだし,
#カミソリパスを出す時は全国共通で関西弁だった.

男子の自転車はみんな黒かった。
メモリがオレンジ色の6段ギアをガチャガチャ鳴らしながら走った。
もちろん、好きな女の子の家の前を通り過ぎる時はドキドキした。

家の近くにはよくわからない草の茂った空き地がまだあったし、
丸くて大きな空洞の先はどこまでつながってるか夢見た。

公文や塾に通っている人はクラスの半分か1/3くらいだった。
それ以外だった僕はクラスの友達と暗くなるまで一緒に遊んだ。
塾通いの友達とも遊んだ。塾の時間になって、別れる時は
みんなでちょっと寂しくなった。

“一緒”が好きなのかもしれない。
牛乳瓶のフタをいっせいに集め出したし、
「キン消し」や、「ビックリマン」シールを集めた。
#キン肉マン消しゴムブーム(1984年〜)ozy-6歳
#ビックリマンチョコブーム(1985年〜)ozy-7歳
当時はビックリマンのシールだけを抜き取り、ウエハースチョコは
スーパー西友のゴミ箱に大量に捨てられ学校問題になったりもしていた。
その頃からチョコ好きだった僕は、友達からよくもらった。
おかげで、太った。
今思うと、その頃少年野球をやり始めて正解だった。

僕らは小銭をひたすら持っていた。
駄菓子屋へ行って、10円チョコがある日突然
11円になって驚いた。
#消費税スタート(1989年)ozy-12歳
ガンダムよりもSDガンダムの方が身近だった。
マグネットやカードダスを集めたし、
ミニ四駆を軽量化しようとしてコンロの火でヤケドした。

なによりも集めたもので、遊んだ。
子供たちだけの遊び方があった。
そのおかげで地域によってルールが違った。
いわゆる地方ルールだ。
中学の時、「UNO」をやる前はひとまずルールを
確認したのをよく憶えている。



「もういいよ」
やはり、止めどなかった。
何でこんなことをつらつら話してしまうのか。
それはきっと「なんてことない」ことが好きだからだ。
「なんてことない」日常が好きなのだ。
こんなページが続いている理由、今少しわかった気がする。

posted by ozy- at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ああだこうだ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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