服は着ている。
湯船につかっていると、何だか色んなことがリセットされる。
このまま何にも考えない時間がもったいなくて
テレビをつける前にパソコンで書いている。
『夜のピクニック』を読み終えた。
仕事中に。
それもどうかと思うが、仕事の合間をぬって
読んでいたので、安心してほしい。
仕事はしっかりやっている。
太陽の光をあびたビルの屋上で読んでいた。
#ビルの屋上が私の仕事場だ.
腰をおろして本を広げていると、
タンポポの綿毛が飛んできて、
本の間にすっと止まった。
目を上げ、しばらく綿毛に見とれていると、
ふぁっとどこかへ飛んでいった。
普段は不思議に思うかもしれないこの出来事を、
その時は何だかとても自然に眺めていた。
今日、仕事の合間に読み終えてしまった。
そうまさに「終わってしまった」だ。
私の歩行祭は終わった。
普段、持ち歩くカバンの中にはいつも本が入っている。
1冊読み終わっても次の本が読めるように常に2冊
入っている。最近は1冊だけだった。
その日の内に読み終えるような本ではなかったからだ。
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読み始めたときはその本の分厚さに
先行きの見えない途方もなさを感じた。
これでまだ1/3かと。
ただ、もう一方では「まだ2/3も残っている」
という楽しみでウズウズしていた。
楽しかった。
行き帰りの電車の中が、やたらハッピーだった。
読んでいる間、西脇融や戸田忍、甲田貴子や
遊佐みわりんと一緒に私も歩行祭を歩いていた。
ともにハラハラしながら、ともにビクビクしながら、
ともに驚き、ともに喜んだ。
読んでいる間、この作品について語ることはなかった。
言葉で外に出してしまうと、歩行祭で今まで感じ、
吸収し、深く考えてきた、ひとつひとつの積み重ねが
逃げてしまいそうで、リセットされてしまいそうで、
ぎゅうぎゅに詰め込まれた思いをそのままカバンに
背負いながら最後まで読み続けた。
今思えば、やはり語っておけばよかった。
その日読んだ内容を日記にしておけば、
歩行祭の過程を誰かと一緒に楽しめたかもしれない。
同じ景色を眺め、同じ場面で感情を揺さぶれている
仲間に出会えていたら、それはそれは素敵な歩行祭に
なっただろう。
この風景を、この世界は素晴らしいと思える
この感情をともに分かち合えたら。
『夜のピクニック』を読み、最後まで歩行祭を
歩んだ人たちと私は夜通し語り合いたい。
もちろん歩きながら。