2005年04月26日

歩行祭のように果てしなく

風呂あがりである。


服は着ている。


湯船につかっていると、何だか色んなことがリセットされる。


このまま何にも考えない時間がもったいなくて


テレビをつける前にパソコンで書いている。








『夜のピクニック』を読み終えた。


仕事中に。


それもどうかと思うが、仕事の合間をぬって


読んでいたので、安心してほしい。


仕事はしっかりやっている。





太陽の光をあびたビルの屋上で読んでいた。


#ビルの屋上が私の仕事場だ.


腰をおろして本を広げていると、


タンポポの綿毛が飛んできて、


本の間にすっと止まった。


目を上げ、しばらく綿毛に見とれていると、


ふぁっとどこかへ飛んでいった。





普段は不思議に思うかもしれないこの出来事を、


その時は何だかとても自然に眺めていた。





今日、仕事の合間に読み終えてしまった。


そうまさに「終わってしまった」だ。


私の歩行祭は終わった。








普段、持ち歩くカバンの中にはいつも本が入っている。


1冊読み終わっても次の本が読めるように常に2冊


入っている。最近は1冊だけだった。


その日の内に読み終えるような本ではなかったからだ。











読み始めたときはその本の分厚さに


先行きの見えない途方もなさを感じた。


これでまだ1/3かと。


ただ、もう一方では「まだ2/3も残っている」


という楽しみでウズウズしていた。





楽しかった。


行き帰りの電車の中が、やたらハッピーだった。





読んでいる間、西脇融や戸田忍、甲田貴子や


遊佐みわりんと一緒に私も歩行祭を歩いていた。


ともにハラハラしながら、ともにビクビクしながら、


ともに驚き、ともに喜んだ。





読んでいる間、この作品について語ることはなかった。


言葉で外に出してしまうと、歩行祭で今まで感じ、


吸収し、深く考えてきた、ひとつひとつの積み重ねが


逃げてしまいそうで、リセットされてしまいそうで、


ぎゅうぎゅに詰め込まれた思いをそのままカバンに


背負いながら最後まで読み続けた。





今思えば、やはり語っておけばよかった。


その日読んだ内容を日記にしておけば、


歩行祭の過程を誰かと一緒に楽しめたかもしれない。


同じ景色を眺め、同じ場面で感情を揺さぶれている


仲間に出会えていたら、それはそれは素敵な歩行祭に


なっただろう。


この風景を、この世界は素晴らしいと思える


この感情をともに分かち合えたら。





『夜のピクニック』を読み、最後まで歩行祭を


歩んだ人たちと私は夜通し語り合いたい。


もちろん歩きながら。






posted by ozy- at 23:06| Comment(2) | TrackBack(1) | ああだこうだ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする